本質的なもの

wondermissile2005-03-11

 ライブドアが司法判断の第一ラウンドでポイントをあげたようだ。今回の騒動に対して僕自身はあまり関心がない。実際に会って話したことがないのでテレビ等でのイメージでしかわからないが、堀江社長とはたぶん気が合わないだろうな、とは思う。しかしやり方がスマートではないにせよ、現状のルール内で違法でないならありなのだろうし、とはいえ逆にフジテレビやニッポン放送の言い分もわかる。堀江社長にいまいち説得力が足りないのは、経済的観点以外の哲学が見えないことに原因があると思う。近鉄のときもそうだが、結局何がしたいか説明できなかった。本人は説明したつもりかもしれないが、皆がわからないという説明は説明になっていないのである。

 それはそれとして、今回の騒動で僕が感じるのは、さかんにテレビやラジオの価値やインターネットの可能性とかああだこうだとそれぞれが発言しているが、どちらも不変な価値を持つものではないということだ。テレビだろうがインターネットだろうが、本質的に歌や音楽、絵画や文学、広く学問や哲学、場合によっては宗教といった、人類が数千年育んできたプリミティブなものがあってこそ成り立つ。誤解を恐れずにいえばテレビやネットはただの道具なのだ。フジの社長がテレビやラジオの使命をいくら言おうが、堀江社長がこれからはインターネットですよ、といくら言おうが、そこに確固たる芸術や学問がなければ何にもならない。

 世の中勘違いしやすい業種というものがあって、例えば銀行、広告代理店、マスコミ、IT産業はその四天王だと思う。銀行はそもそも他人の金を預かって商売しているだけなんであって、銀行が偉いわけでもなんでもないのだ。広告代理店だってクライアントがいて始めて成立つ、あくまでも代理店なのだ。マスコミとIT産業は前述のとおり。くりかえしになるが、中身がなければ何にもならないのだ。