魔法使いの夏

 石川喬司著の『魔法使いの夏』を読む。この本は多分7〜8年前だと思うが、僕の友人が当時の僕の家に置いていってそのまんま今も本棚にある文庫本で、1977年の本なのでもうすっかり茶色く変色してしまっている。

 僕はSFは好きだが、じゃあSFをいっぱい読んでいるかというとそうでもなく、この人などSF界ではかなり有名人なはずだが、僕の友人が置いていくまで知らなかった。なんでも昭和54年に東京大学で行った講義(文学と時間)が「日本初のSF講座」として話題になったとか、かなり本格的に競馬通らしいとか、調べてみてわかった。

 SFというと、とても科学的で固いものや、スターウォーズのようにエンターテインメントなものなど様々だが、これなどはちょっと異質な、不可解な世界設定の純文学といえるだろう。

 だいたい村上春樹の作品にはほとんどSFと言ってもよいものが多いし、先日の日記で書いた舞城王太郎なんかもそう、というかもともとそっち系の人だし。

 で、なにが言いたいかというと、単にSFもいろいろだなあ、ということと、現実の世界を書くことがリアリティを獲得する、もしくは説得力を持つとは限らないということ。

 よく「等身大の表現」とか「最新の風俗や時代背景を反映した」などという作品の多くが、嘘臭かったり、説得力がない場合も多い。特に最新の風俗をモチーフにしたものは、果たして10年後リアリティを持てるのか。もちろん時代を超えるものもあるだろうが、やはりそこにはきっと「うわっ古っ」みたいな気恥ずかしさがついてまわるだろう。

 その点よくできたSF、もしくは寓話、空想、幻想は時代を超えやすいかもしれない。

 まあ、どっちにしても「良くできている」なら関係ない話だが。