ひさしぶり

 思い出したのでブログ再開。タイトルも代えてみた。またすぐ変えるかも。

 とはいえ、特に書くことも思い当たらないので、最近読んだ本。あんまり読んでないけど。

ポール・オースター『幻影の書』
中島敦全集
寺山修司『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム
清水馨八郎『侵略の世界史』
O・ヘンリ短編集

ポール・オースターはいつもどおり。「ムーンパレス」と同じような話なんだけど、なんか「いつもと同じだけど最近のニュー・オーダー(プライマルでもストーンズでもなんでも良いけど)結構良いよね」的な面白さ。勝ちパターンのある人は強い。

寺山修司は思ったより面白くなかった。僕はこの人の短歌は好きなんだけど、アフォリズムということになると、やっぱり経年劣化は避けられない面もあり、良いこと言おうとしてるオヤジのように感じてしまう言葉もある。

清水馨八郎は、左右の意見をちゃんと読むべきだな、との思いから読んだ。このひとは完全に右だけど、言わんとすることはわからんでもないし、白人中心の歴史観を疑うことは賛成だが、日本の戦争についての記述に根拠がない主張や、問題のすり替えが多いのはちょっと気になるところ。ただ、この問題を自分で直接研究しているわけではないから、僕はこの正偽は判定できないけど。しかし岡倉天心についての認識や引用の仕方は明らかに間違っている。愛国心を語る上で岡倉を引き合いに出すまではまあ良いが、戦争を肯定するための思想的支柱のひとつのように扱うのは違う。

岡倉は以前僕のブログでも書いたんだけど、あえてもう一度書こう。
岡倉覚三(天心)の『茶の本』より。

『西洋人は、日本が平和な文藝にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。
 しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。
 近ごろ武士道--わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術--について盛んに論評されてきた。
 しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。
 この道はわが生の術を多く説いているものであるが。
 もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、
 むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。
 われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう』

日本の心だとか愛国心という人は、岡倉天心の言葉を知っておくべきだろう。


長くなったんで、中島敦とかはまた後日。