セカイ系

 先日たまたま某出版社の方とお話しすることがあり、文芸作品の投稿を読んだりすることがあるという。それで、この方が言うには若い世代の作品のほとんどが「一人称の小説」だそうである。人称の問題はいろんな人が語っているし、「どっちだっていい」という意見もあるので、個人としてはまあやはりどっちでも良いとは思うが。

 でもそれがいわゆるセカイ系ということになってくると、また話は変わってくるのだろう。僕の半端な理解ではセカイ系

「自意識=世界」というような構図で、なんというか中間の「社会」というようなものがない世界観という感じなのかな。乱暴にいえば超自意識過剰、もしくは単にオタク的ということだろうか。(と、書いたあとはてなのリンクで読んだらそうずれてはいなかった。くわしくはそちらで)

 で、このこと自体も別に悪いことでもないんだろうが、その世界観に基づいた作品が、一体誰に向けられたものなのか、ということで評価は変わる気がする。また、社会ってものを全部すっとばしているだけに、「わかる人がわかればいい」ということになりがち。

 で、「わかる人がわかればいい」ということ自体も別に悪いことではない。が、「わからない人を排除」するようになってはいけない。そしてよっぽど自覚してかからないと、自分の自意識のみの作品は批判精神にかけがちなので、つまらないものになる。と思う。作者の姿勢の問題。