趣味嗜好

 ブログに移行する前の日記を久々に読んでみた。
すると文体・内容がまったく違う。簡単に言うと、重→軽、内→外向きという変化がある。そこで、深い理由はないが、今日は以前の日記に近いスタイルに少し戻してみることにした。
 島田雅彦だか保坂和志だったか忘れてしまったのだが、「その人が何を(どんな音楽を)聴いてるのかをきけば、その人の大体の水準はわかる」というようなことを言っていたように思う。「水準」という言葉ではなかったかもしれないが、漠然とそういうニュアンスの言葉を使っていたように記憶している。ここでいう「水準」とは単に「知的水準」「教養の度合い」という意味もあるが、もっとトータルで人間をとらえた、「感受性」というような意味と考えても良いだろう。
 この意見は、もちろんあえて言い切っている発言なわけで、100%文字どおり受取るものではないし、「いや、一概にそうでもない」と事例をあげて否定していくことは可能かもしれないけれど、それにはあまり意味はない。
 そのうえで僕は「ああ、なんかわかるなあ」と思う。日本人にとっての「血液型神話」みたいに非科学的な面もあるかもしれないが、自分の経験則では確かにそれは正しい。
 しかし、「水準」という言葉を使ってしまうとどうしてもイメージに「上下」「貴賎」が生じてしまうので、それを同一平面上にあるけれど、単に存在する地点・地域と考えることにしよう。するとある程度交わるところもあれば、まったく接点のないところもあるだろう。
 なんてややこしく書かなくても、要は「趣味が違う」「趣味の合う、合わないがある」というだけのことなのだ。そして本来趣味に「良い悪い」はない。あくまでも「違う」だけだ。
 ただここで重要に思えるのは、絶対に趣味の合わない人はいる、ということだ。遠い未来に、もし人類が人種・宗教・思想の壁を克服したとしても、絶対に趣味嗜好の違いは残るだろう。