お金をかせぐこと

 日記を更新していないあいだに首相が辞めてしまったが、それに関してはもうどうでもいいやという気にもなるのだけれど、本来はどうでもよいことどころか大問題なのであって、どうでもよい気になることが問題かもしれないとも思う。
 とはいえ、ここであらためて意見とか書く気も起こらないので違う話題。
 先日酒を飲んでいたときの話。障害者たちがパンをつくって売る店があったのだけど、どうやら閉鎖してしまったらしいとのこと、やはり採算とれるようになっていかないとだめだ、という。
 まあ、それはそうなんだけど、ものごとすべて採算がとれることばかりではない。採算がとれるくらいの質的向上や社会との折り合いをめざしていくことと、採算自体が目的化することとは意味が違う。
 賛否はいろいろあると思うが、教育とか医療、広く学術の分野は大げさにいえば儲けるもんじゃない。儲かるとすれば、何かを省いているから。あるいは足下をみているから。繰り返すけど、採算がとれるくらいに質の向上や社会との折り合いをつけていくことは重要だと思う。公的に保護しすぎて質が落ちてしまう事例は幾多もある。ただ、だからといって目的がすり替えられてしまうのは避けたい。
 今日の東京新聞で、「アメリカには、貧乏=怠け者、無能、悪、逆にいえば怠け者、無能だから貧乏になる」という考え方が根強いが(さらに最近の日本人もそれに影響されているが)、それは人種差別などによって被差別階級をつくることによって成り立つ、つまり被差別階級=怠け者、無能、悪=貧乏、という構造があっての発想なのだという、おおまかに言うとそういう指摘があった。その構造が美しいのかといわれれば、もちろんまったく美しくない。
 で、全然脈絡はないけど、愉快なのでright said fred。なんと「I'm too sexy 2007」が!!
これがオリジナル

で、これが2007。

わかってて悪趣味をやるというのは素晴らしいですね。