NHK

 買いたい本があるが、一冊3000円超えてて、上下巻。ちょっと考え中。

 それで思ったのだが、NHKの話だ。

 僕はNHKの番組は比較的好きで、とくにドラマや特集は質的に安心なものが多いと思っている。NHKのドラマを見たあとで、民放のそれを見ると、そのあまりにいい加減な作りに10分持たないことも多く、すっかり民放のドラマからは離れてしまった。

 そういうわけで、ある程度NHKを評価しているわけだが、問題は「受信料」の考え方だ。僕は受信料を払うこと自体は、悪いことではないと思っている。それには条件があるのだが、NHKが「図書館」のような役割を担えば、ということだ。
 
 例えば、図書館は市民の税金で運営されているわけだが、この場合「おれは図書館で本は借りないし、読まないから、その分の税金は払わない」とはならないだろう。こうした「知の集積」あるいは「無料での(実際は税金を払っているわけだが)学習環境の提供」「質の高い書籍の確保」などの機能は、皆が使う/使わないを問わず、必要な機能なのだ。

 もしNHKが放送・映像文化において、そうした意味の存在になるのであれば、受信料を徴収しても良いと思う。変に民放的な番組をつくる意義などない。

報道

 なんだかテレビを見てて、どこかの裁判官が痴漢で捕まったそうで。で、コメンテーターが
「まだ容疑者なので、決めつけてはいけない」「最近冤罪も起きていることだし」「とはいえ、被害者心情も考慮しなければいけないわけで」「つまり、この手の報道は難しい」
 という。
 だけど、要は「速報しなければならない事件しゃないかぎり、はっきりわかってから報道する」だけでいいじゃないか、と思う。どこぞの裁判官が痴漢したかしないかなんて、一分一秒争って知らなきゃいけない事件じゃない。ここには報道関係者の欺瞞がある。一番面白がってるのは君たちじゃないか?
 最近体重が減らなくなってきた。『大人の時間はなぜ短いのか』によれば、乱暴にまとめると
新陳代謝が鈍る→自分のもろもろの処理速度・感覚が遅くなる→いつのまにか周りは進んでいる→だから時間を短く感じる
 とうことで。残念だな。

ポチの告白

ポチの告白』という映画を見た。以下、映画会社の紹介文からの引用。

近年の日本に頻発する警察犯罪を主題に、良識ある警察官が、やがて上司の悪徳刑事に取り込まれ、国家ぐるみの犯罪の隠蔽工作に加担し堕落していく過程をリアルに描いた、オリジナル版・3時間15分におよぶ社会派エンターテインメント大作。
警察犯罪分野のトップ・ジャーナリストである寺澤有がスーパー・バイザーとして参加。実際に起こった、または係争中の警察犯罪をモデルに徹底したリアリティで脚本を構成。60年の歴史を誇る、ジャーナリストの聖地・日本外国特派員協会に初めて映画撮影が許可された事実からも、この映画の主題の意義が評価されており、現在、社会問題化している警察犯罪とこれを隠蔽するマスコミ、検察や裁判所の闇にも正面から斬り込んだ問題作として、撮影中から海外マスコミが取材に訪れた。

「3時間15分!長いなあ〜」と思う人でも大丈夫。映画としてちゃんとしてるので、まったく長く感じません。以前みた若松孝二連合赤軍の映画と同じく、しばらくいやーな気分を引きずりそうですが。この映画を見てから、普通に交番をみれません(苦笑)。とにかくオススメ。

中島敦

 日記の名前を変えてみたのは、中島敦を読んでからなんだけど、この李徴というのは『山月記』に出てくる主人公の名前だ。
 教科書にもよくのっている短編小説だから、「エリートが虎になっちゃうアレだよ」と言えば思い出す人もいるだろう。

 で、ひさしぶりにこれを読んだらとても面白くて、つい他のも読んでみたという訳です。昔読んだことがあるものが多いけど、
あらためて読んで、これがまた面白い。

 芥川賞候補になった「光と風と夢」は今回初めて読んだんだけど、これもまた面白い。
純文学としてはもちろん、
歴史・娯楽小説ととらえても構わないだろうし、小説論としても面白い。ポストコロニアルとか好きな人は、そういう読み方もできる。
とにかく、「現代的」な小説なのだ。これを押した芥川賞選考委員は川端康成だけだったようだけど、早すぎたんだろうな。

 まあ、「教科書に載ってるような純文学はちょっと、、」とか思うひとにもおすすめ。「名人伝」とか「弟子」とか面白いですよ。

 

言論の自由

 先日、知人の英国人が中国で雑誌を創刊する計画があるという話をしてくれた。
 そのときに僕は「自由に意見とか書けるのか?」という質問をした。
 すると彼の答えは「ある意味YESだし、ある意味NOだ」という。さらに
「むしろ日本の方が自由はないとも言える」という。
その理由はこうだ。
「中国では、政治的なことに関してはとても厳しい。その意味では言論の自由はない。
ところがそれ以外に関しては意外と何を言っても良い。平気でアーティストの悪口も書く。
反対に日本のカルチャー雑誌や音楽誌は、広告主にすり寄った太鼓持ち記事ばっかりじゃないか。」

なるほど。自主的に言論規制しているという意味では日本の方が危険ともいえなくもない。
一見自由なように見えて、なんだか自然とものを言わなくなる空気はちょっと怖い。

ひさしぶり

 思い出したのでブログ再開。タイトルも代えてみた。またすぐ変えるかも。

 とはいえ、特に書くことも思い当たらないので、最近読んだ本。あんまり読んでないけど。

ポール・オースター『幻影の書』
中島敦全集
寺山修司『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム
清水馨八郎『侵略の世界史』
O・ヘンリ短編集

ポール・オースターはいつもどおり。「ムーンパレス」と同じような話なんだけど、なんか「いつもと同じだけど最近のニュー・オーダー(プライマルでもストーンズでもなんでも良いけど)結構良いよね」的な面白さ。勝ちパターンのある人は強い。

寺山修司は思ったより面白くなかった。僕はこの人の短歌は好きなんだけど、アフォリズムということになると、やっぱり経年劣化は避けられない面もあり、良いこと言おうとしてるオヤジのように感じてしまう言葉もある。

清水馨八郎は、左右の意見をちゃんと読むべきだな、との思いから読んだ。このひとは完全に右だけど、言わんとすることはわからんでもないし、白人中心の歴史観を疑うことは賛成だが、日本の戦争についての記述に根拠がない主張や、問題のすり替えが多いのはちょっと気になるところ。ただ、この問題を自分で直接研究しているわけではないから、僕はこの正偽は判定できないけど。しかし岡倉天心についての認識や引用の仕方は明らかに間違っている。愛国心を語る上で岡倉を引き合いに出すまではまあ良いが、戦争を肯定するための思想的支柱のひとつのように扱うのは違う。

岡倉は以前僕のブログでも書いたんだけど、あえてもう一度書こう。
岡倉覚三(天心)の『茶の本』より。

『西洋人は、日本が平和な文藝にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。
 しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。
 近ごろ武士道--わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術--について盛んに論評されてきた。
 しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。
 この道はわが生の術を多く説いているものであるが。
 もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、
 むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。
 われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう』

日本の心だとか愛国心という人は、岡倉天心の言葉を知っておくべきだろう。


長くなったんで、中島敦とかはまた後日。